2011年05月04日

日本人が知らないウィキリークス

本はそれなりのペースで読んでいるのですが,全然ここしばらくこのブログに感想をあげていなかったのでこのG.W.中にいくつか紹介できたらなと思います.





今朝,起きてびっくりしました.ちょうど1週間くらい前に読み終えた本だったのでまさに頭の中にはウィキリークスに関する情報が色々散りばめられているところ.
これらの情報に対して,各マスメディア,ジャーナリストがどのような反応をするのか興味深いところです.



以下,個人的メモ:


この書籍は,去年から大きくメディアを騒がしたウィキリークスについて,それぞれの著者が解説をしてくれたものだ.

読み終えた感想は読んで良かったという点.自分がウィキリークスについてどの程度理解していて,今回によってどの点の補強がされたのか掴むことができる.


この書籍は,2011年2月21日に発売されたもので,ウィキリークス騒動から発行までのスピードの速さに驚いた.文章中でも,まだ経過途中であり結果がどうなっているかわからないといったものもある.例えば,アサンジ氏が逮捕後,引渡しはどうなったのか,とか.


まず,私自身が大きな勘違いをしていたのはウィキリークスの活動内容.
クラッキングのプロフェッショナルがいて,その人達が非合法として,サーバ技術のセキュリティホールを暴き,その国・機関の機密情報を盗み取るという文章にするのは少し恥ずかしい,一般的な『ハッカー』のステレオタイプな活動を浮かべていた.


しかし,それは大きな誤解だった.

彼らは"情報"を技術的に"匿名性を守りつつ"引き渡す部分を提供し,第3者,多くの場合内部告発者からウィキリークスに安心して情報を提供してくれる仕組みを作ったのが大きい役割だったこと.

そして,ウィキリークス側で情報を選び出し,その事実関係の検証はあまりせず(?),インターネットのサイト上で公開をしている.

このような活動が中心であった.つまり,提供者がいなければ活動は成立しない.

ウィキリークスから派生した別の情報公開サイトでは,運営側で情報の選択すらしておらず,提供者が提供先を指示できるようになっている.こちらも情報提供者がいかに提供しやすくするかが課題だ.


今後,こういう形での情報提供は増えるだろうことは予想できる.
なにより内部告発者を保護する制度という日本においては中途半端な制度にはできなかったことが可能になる.当然,情報提供元の匿名性が維持されるということは,その情報が正しいかどうかはどう判断するのかということになる.

それが一番できる技術・人脈を持っているのは既存のメディアだろうし,彼らの新しい仕事であろうという本書籍の中での指摘も最もだと思う.



ある言葉だけに反応して,それを人に伝えていくのはただの噂話であり,判断の根拠があるのかどうか,それに対する反証があるのかどうかを確認していくことは,twitterなどのネットメディアを利用する立場の人間としては必要だと改めて感じさせる本だった.


この本の目的のひとつは「ウィキリークスによって引き起こされている一連のリーク事件には,従来と違う,それは一体何か?」というもの.
内容は一般の人向けに分かりやすく解説されていて(一部,丁寧すぎると感じたくらい),インターネットメディアについて興味のある人は目を通して損はないと思う.



構成は以下のような感じ.
│第1章│ ウィキリークスとは何か──加速するリーク社会化〈塚越健司〉
│第2章│ ウィキリークス時代のジャーナリズム 〈小林恭子〉
│第3章│ 「ウィキリークス以後」のメディアの10年に向けて 〈津田大介〉
│第4章│ウィキリークスを支えた技術と思想 〈八田真行〉
│第5章│米公電暴露の衝撃と外交 〈孫崎 享〉
│第6章│「正義はなされよ、世界は滅びよ」──ウィキリークスにとって「公益」とは何か 〈浜野喬士〉
│第7章│ 主権の溶解の時代に──ウィキリークスは革命か? 〈白井 聡〉



以下,文章から印象に残った点,後日改めて調べたい点を残しておく.


■1章.

この事件は特に以下の3つの観点から注目に値する.
1. ウィキリークスへの支持者・団体が多数現れたこと
2. 企業がウィキリークスを訴えることの困難について明らかになったこと
→訴えることによって不都合がより広まってしまう.
3. 一度インターネットに掲載された情報は実質的に消去不可能であるということ


この章では,ウィキリークスがどのようにして情報の信用性を高めていき,世論の認知を増やしていったかが分かって面白い.また,日本のメディアの違いも分かるし,今後の情報リテラシーとして必要なことはなにか,危機感を高めざるを得なかった.

イラク米軍誤射映像公開(2010年4月5日)の件では,日本ではこの筆者が確認した限り,TBSのニュース専門番組「ニュースバード」にて4月12日に特集が放送された以外はとりわけ目立った報道がなく,欧米では各メディアが大きく事件を取り上げたとある.



■3章.

(尖閣諸島ビデオの件で)『現場で報道に関わるプロヂューサや記者と話している際,ひしひしと感じたのは「新聞にもテレビにもこんな大スクープをネットに軽々とやられてしまった.今後の我々の仕事はネットに流出した情報を二次的に検証していくということに変わっていくのかもしれない」』




『…既存マスメディアという存在が立法,行政,司法という権力を監視検証する存在であるにも関わらず,自らは特権的立場に置かれ,
監視検証される機会が少ないという構造的な問題を指摘したものだ.長年この構造的問題を抱えてきた既存マスメディアは,
インターネットという誰でも情報を発信できる情報インフラが登場したことによって,検証される機会が爆発的に増えた.
このことは結果的に既存マスメディアによるジャーナリズムに対する一般市民の不信を増大させ,…』


『調査報道の新潮流: ジャーナリズムの中でもとりわけコストがかかる調査報道は,各既存マスメディアの中でも「採算割れ」部門の代表格として,ここ数年各メディアの頭を悩ませてきた.米国ではここ数年の傾向として「プロパブリカ」のような調査報道専門のネット媒体がNPOとして運営されたり,大学のジャーナリズムコースなどがそうした公共性の高い調査報道を行うようになっている』



ここは,米国が寄付制度がうまく廻っていることも背景にあると思うけど,信頼できる調査報道機関を各マスメディアでもつよりもこのような共同組織を設立して行なったほうがいいのではと思わせる動きだと思う.

不採算部門だけど,重要な部門.そこをどううまく使っていくか,多くの機関が悩むところだろう.調査報道をすべてまとめちゃうとどこからも同じ情報しか出なくなってしまうし.

ここを読んで感じたのは,どこの企業でも『研究開発』部門は赤字だろうし,その有用性を本当に理解してくれる人はそんなにいないだろうということ,そのためにどのような評価指標を用いればいいんだろうかという本題とは関係ないことだった.(汗)



『「ウィキリークス以後」の10年をキーワードで語れば,「権力監視の分散化」と「メディアによる検証機能の再評価」ということになるだろう』




4章.
『日本ではサイファーバンクは単なる(暗号技術)規制反対論者として片付けられてしまう傾向があるが,暗号の駆使によって何を実現したかったかこそが重要なのだ.』




5章.
『…大使館で自分のデスクに届けられる新聞は数誌にすぎないが,米国の政治情報を提供するサイト「REAL CLEAR POLITICS」へ行けば,新聞40紙,雑誌45誌へのアクセスが可能である.米国でオピニオンリーダーと呼ばれる人々の考えにはウェブサイトやブログなどで接触可能である.ワシントンに入れば直接人に会えるじゃないかという指摘があるかもしれない.が,大使ですらいったい1年に何回オバマ大統領や共和党次期大統領候補と会い,話す機会があるか.しかし彼らは日々ツイッターやブログで情報を発信している』



ここはそのとおりだと思った.
その人と一緒に働いている人よりも,twitter/blogをよく更新する人ならそちらを見たほうがその人の考え方や主張を理解する手助けになる気がする.もちろん,直接会うほうが得られるものが多いだろうけど,それが年に1回程度だとしたら,私たちはその相手のことをどれだけ理解できるのかは疑問だ.




6章.
『要するに,従来の内部告発論において前提になっていのは,第一に,内部告発的な「法を超えた正義」はシステム・法の側に取り込み可能であるということであり,第二に,何が「公益」なのかは,ある程度自明であるということであった.しかしながら,ウィキリークスが揺さぶっているのはまさにこの2つの大前提なのである.』



私はこの章では,「パリーシアステース」の話が興味深かった.
「パリーシア」はギリシア語で「率直に語る」の意味とのこと,「パリーシアステース」は「パリーシア」を行使する人となる.

文章ではこう書かれている

『では自分が真理を語るもの,すなわちパリーシアステースであることを証明するにはどうしたらいいのか?…(中略)…フーコーによればパレーシアステースであることを示すには,ある「道徳的な性質」,端的には「勇気」を持っていることを示すだけで良い.…(中略)…語るためにリスクを引き受けるものだけがパレーシアを行使する.例えば王や僭主を諌め,批判する哲学者は,追放や死刑の危機の危険と隣合わせであるがゆえに,パレーシアステースである.逆に王や僭主はリスクを引き受けることがないため,パレーシアステースには成り得ない』




『われわれがなぜ心惹かれるか,それは彼らがパレーシアステースだからではないか?(中略)私たちは,彼らの行為に何らかの正義があり,何らかの公益があると信じる,あるいは信じたくなるのである』




と結んでいる.ここは論理を飛び越えた感覚的なものだけど,たしかに今の震災後のtwitter上の情報の流れを見ててもそういうのは感じられる.



posted by maplewine at 14:27| Comment(2) | TrackBack(0) | book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
すでにやすりをかけているアンチ・ショック段はスペーサーをかぶせて、軸の首を研ぎます。軸の首を研ぐ時注意して、子を持つのが油砥石の平面と平行して、そうでなければ研ぐ軸の首は主要な部分が小さい尾ではありません。
時計v軸の首が研いだ後に、そのようにまたトップを修理するのが半分つぶす球形だ。1面に順番に当たってやすりをかけて製造したのを並べた後に、それを逆さまにして子を持つでしっかりはさんで良い1面にやすりをかけて、またもう一つのをやすりに捧げて両円盤段、アンチ・ショックの段と軸の首段などを研ぎます。スーツの両円盤の1段の大振り子は少しテーパーを持つべきです。
Posted by 時計レプリカ at 2013年11月05日 11:30
一生は1部の流行する芸術史で、1部は“イタリアの生産”の戦略の意識の商業を確立して史を改革して、スーパーコピーブランドは彼の設計室が現れて最も原始の仕事部屋から今日の流行王国の非常に不思議な類の歴史の過程まで(へ)発展しますと誇張して少しも言いないことができます。
Posted by スーパーコピーブランド at 2013年11月13日 11:37
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